きっかけ
多分、藤子不二雄A先生の訃報が切っ掛けだと思うけどウィキペディアでトキワ荘を調べたときにマンガミュージアムのことを知った。
本物のトキワ荘はすでに解体されていることは知っていたけど、2020年に復元されていたことは知らなかった。
タイミングが合わなかった
東京に行く機会は何度かあったけど、場所が豊島区なので方角的に「ついでに寄ろう」ということが出来なかった。そんな中、この記事の後にアップされる予定の「メガホビEXPO2024」に行く用事ができた。そして会社の元上司とも呑む予定もなかなか決まらなかったけど、約束を取り付けた。飲み会は夕方だから午後にトキワ荘マンガミュージアムに行く時間ができた。
写真
キャリーケースも預けれるロッカーが設置されていることに有り難く思いながら、2Fへ。階段のきしみ音を当時を参考に再現していた。木造住宅の階段あるあるのギシギシ音。いいね。
登り切ったときに目に付いたのが「くやえ!」だった(^^; ブラックジャックは読んだことが無いからピノコくらいしか知らない(笑) カプコンとのコラボイベントしていたこともあって、ところどころこういうのが(笑)
寺田ヒロオ先生の作品を読んだことがない。子供の頃に読んだ「まんが道」でお名前を知ったくらい。このブログ記事を作ってるときに気づいたけど、「トキワ荘通りお休み処」に当時の部屋を再現していたのね(^^; ちらっと商店街を歩いていて改めて写真を撮りたいと考えていたから、その時にでも寄ろうと思う:-)
椎名町周辺の解説。昭和30年前後の写真だけど、活気が見られる風景。商店街にあった店とかは移り変わりがあるけど、こういったものは残しておかないとね。横長の真っ黒な部分は意図的に消したわけでは無く、液晶モニターがはめ込まれていてシャッタータイミングの都合上こんな風に。
こんな炊事場は見たことがない(笑) 今みたいなコンロじゃ無いからこんなふうにガスチューブが出てるんだろうけど怖いな(^^; 昭和のアパートには風呂場が無いから近所の銭湯に行くことになるけど1、ほんとかどうか知らないけど赤塚不二夫先生がこの炊事場の奥にあるタライを使って風呂代わりにしていたとか!?
自分の中では藤子不二雄先生だね。15号室。6年ほど入居していたとのこと。部屋の中は撮影禁止だったので、引いたところから撮影。モノが無いのはその頃の資料とかが無かったからもしれない。
よこたとくお先生のお部屋。学習漫画とかでもしかしたら見たことがあるのかもしれない。手元に無いから確認のしようが無いけど。しかし、四畳半でこれだけの家具やテレビとは(笑)
存命でいらっしゃる水野英子先生のお部屋。作品は存じ上げないけど、自費出版で「U・マイア(手塚治虫先生・赤塚不二夫先生・水野英子先生の合作ペンネーム)作品集などがあるようなので、今度発注してみようと思う。
ローアングルから廊下を撮影。こうやってみると結構奥行きがある広いアパート。そしてオープンリールのテープの山。この頃ってレコードやテープなどが主流だったからこうやって積み上がってることが多かったみたい。メディアが変わっても今も昔も変わらないな:-)
機能していないけど、当時の漫画家や編集者が利用していた電話ボックス。NTT落合電話局はすでに無くなってるけど、別館だけはまだ残ってる。
トキワ荘公園にも以下のように展示してあって面白かった:-)
解体中の写真とかが残ってるのも凄い。解体以外の写真は誰が撮影したのだろう。当時でもカメラって高価な物だと思うんだけど。
鈴木伸一先生の自画像を見る度に笑ってしまう(笑)
ちょっと商店街をブラブラしていた。その中で中華料理屋の松葉さんは営業をし続けているとのこと。準備中だったのでは入れなかったけどそれは次の機会に取っておこう。
松葉さんの建物は昭和の時代から令和の時代までずっと見続けているのだと思うと感慨深い:-)
感想
撮影不可の場所もあったけど、非常に楽しむことが出来た:-) 四畳半の執筆環境の再現を見てると、藤子先生らが浮かんできた。今も昔も四畳半は狭く感じるけど、当時はこの広さでも贅沢だったのかもしれない。
手塚治虫先生が上京しなかったらトキワ荘がここまで有名になることは無かったのだと思う。
入居していた11名の漫画家も存命は3人しかいない。当時のことを知ってる人が少なくなっているので、こういったミュージアムや商店街の力で後世に残して欲しいところ:-)
おまけ
ラーメンの小池さんのモデルになった鈴木伸一先生、後で調べたら若い頃の写真を発見。まんま小池さんだった(笑)
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