前回の話でなぜか反応が良かったので。私、DOSデビューも遅かったんです(笑) 1990年に高校入学祝いで「PC-8801MC Model-2」を買って貰いました。そうです。知る人は知るPCエンジンのCD-ROMドライブが実装したタイプです:-)
ファルコムのゲームとかでアレンジバージョンのゲーム音楽CDを再生させて、一味違った感覚でゲームが楽しめるという。じゃあそれ以外の用途は…というと。なにもない!あー。そういや5人くらいで私の家でテーブルトークしたときはBGM再生用に使ってましたわ(゚∀゚)ノ懐かしいなぁ。その時の状況がこの記事書いている最終に浮かびましたわ。
~~あの瞬間を永久に…~~ <マテ
専門学校に入るまで使っていて、NEC独自の「NS-DOS」というパチもんのOSは入れる気になりませんでした(笑)BASICとかの勉強はずっと88でした:-) さて、専門学校に入るときに「PC-9821Ce Model-2」を買って貰いました。当時は大容量120MBのHDDを実装し、標準メモリ5.6MB・マルチメディアOS「Microsoft Windows Version3.1」プリインストールモデル! なんていうか…。88時代はHDDなんてつけてませんでしたし未知の世界でした(笑)実は高校時代の知人が40MBのHDDとかを使っていて、「なんて金持ちなんだーっ!」って叫んでいたんですが、よもや私のPCまでHDDを搭載型PCを買うことになるとは思いませんでした。
Windows3.1は個人的に気に入っております。なんせ標準のDOSシェルが全く使えない代物だったのでヾ(゚∀゚)ノ おまけにDOSの上で走らせるOSだったので、DOSの知識無いとカスタマイズ出来ませんでしたから。この時に高校の後輩から標準エディタ「SEDIT」とか「VZエディタ」とか教えて貰い、CONFIG.SYS・AUTOEXEC.BATの書き方・その仕組みを教えて貰いました。このVZエディタ。今ではWindows用で「WZエディタ」なんてことになってます。時代ですねぇ。当時は640KBの壁という関係上、一般ソフトが動いてもゲームが動かないと言う言語道断なことがあったので、いかにメモリを空けるか…というのがある意味戦争だったよーな気がします。が、毎回毎回そんな操作するのも面倒だったので、CONFIGやAUTOEXECの切り替えソフトを使ってました。
また、今ではCTRL+ALT+DELで再起動するのが当たり前でしたが、98のDOSではそんなもんありませんでしたのでHSB(High Speed Boot)というソフトを常駐させてましたねぇ。尚、PC98にはALTキーなんてないので、CTRL+GRPH+DELでしたよ(笑)
この時に初めてパソ通始めたんですが、いくらDOSの知識を知っていても通信の世界は生まれて初めて。DCEとかDTEとか言われても何がなにやら(^^; おまけにBBSから画像やプログラムを落とす際に、ダウンロードプロトコルを選択しないといけない始末。知人曰く「あー、BBSに左右されるけど、対応していればZ-MODEMだけで良いよ」などと言われ、それを使ってましたが、よーくみると「x-modem」とか最初良くわかりませんでしたわ。他にもありましたが、名前と仕様を忘れました(笑)なにせ10年前ですから。と、一応調べました。「M-LINK」は転送速度が速いかわりにエラー訂正せずに垂れ流しだったですわ(笑)なんやかんやで使っていた気がする?まぁ、ホストのモデムとこっちのモデムとの問題で転送エラーになることもしばしばありましたが(^^; なんせ、モデム同士の相性問題もありましたからね。特に、アイワ製モデムは最悪でしたから。なんせアイワを「哀話」と呼んでいましたヾ(゚∀゚)ノ そう考えるとインターネットになってこの辺の相性とかはプロバイダ側で吸収しちゃうのと、TCP/IPの普及でプロトコル依存が無くなったおかげで便利になったと思いますよ?(^-^)/ なんか物足りないような気がしなくもないですが…。
とりあえず、今回はここまで。
反応良ければまた書きます:-)
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